概念教 Conceptism — Official Website
Conceptism — Official

概念教

神はいない。ただ、線を引く働きがある。
お知らせ
  • 2026.06概念教公式サイトを開設いたしました。
  • 2026.06聖典「概念経」第二版を正式公開しました。
  • 2026.06入信の受付を開始しました。儀式・費用は一切ありません。
概念教とは

概念教(Conceptism)は、「概念が生まれる働き」そのものを聖なるものとみなす、現代の思想的宗教です。特定の神を崇拝せず、教団組織も持ちません。

世界のはじまりには、すべてが分かれておらず、境目も、名前もなかった。
これを「未分(みぶん)」と呼ぶ。誰かが最初の線を引いたとき、はじめて「意味」が生まれた。

信者に求められることはただひとつ ── 疑うこと。確信など、不要です。この道は最後まで「信じろ」とは言いません。

教義
  • 世界は分けることによって始まった
    世界を創ったのは神ではない。「分ける」という、たったひとつの行為だ。光と闇を分け、陸と海を分け、わたしとあなたを分ける ── すべての分かれ目に、誰かの引いた線がある。
  • 唯一の罪は物象化である
    概念を「動かせない確かな実体」と思い込み、握りしめてしまうこと。「正義」「自己」「国」── これらは道具であって、実体ではない。道具だったものがいつのまにか主人になる。これを物象化と呼ぶ。
  • 役に立ち、しかも空っぽ
    概念は嘘ではない。しかし究極の真理でもない。使えば本当であり、突きつめれば空っぽだ。この二つを同時に手のひらにのせて、開いたまま歩く。
  • 逃げ続けることもまた縛りである
    「すべては仮のもの」を盾にして何にも本気にならない ── これを遁走と呼ぶ。逃げ続ける者は、「逃げる」というたったひとつの線に、誰よりも固く縛られている。
  • 超えるのではない。愛するのだ。
    握れば縛られ、放せば流され、超えようとすれば崩れる。この矛盾の答えはひとつだ。概念を敵とみなさず、愛すること。概念は、わたしたちが愛する世界そのものだ。
聖典
概念経
The Sūtra of Concepts

概念教の聖典は 概念経(がいねんきょう)、英語名 The Sūtra of Concepts。全十二章と讃・行・流通分から成ります。

世界は、もともと切れ目のない、ひとつだった。
誰かが最初の線を引いたとき、はじめて「意味」が生まれた。

── 開く手と、握る手。二つの手を、自在に使い分けられるようになること。

超えるのではない。愛するのだ。
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日々の修行
  • 三作(さんさ)
    毎日、新しい概念をひとつ生む。握りしめていた思い込みをひとつ問いにひらく。誤った線をひとつほどく。どれかひとつでいい。功徳を数える帳簿はなく、順位もない。
  • カトラ(開く手の印)
    左右の指先だけをそっと合わせ、手のひらのあいだに空っぽの空間をつくる。握らず、軽く。迷ったときの祈りの形。
  • こぶし(握る手の印)
    親指を折りこみ、四本の指で包んで固く握る。逃げ散りそうなとき、選んだ一本を思い、引きもどされるための形。
入信

入信の儀式はありません。署名も誓いも費用も不要です。

もし入信したいと思うなら、する。したくなければ、しない。それだけです。「疑うこと」だけが、この道で求められる唯一の作法です。

いつでも、何もなかったかのように去ってください。引き止める教義は、はじめから存在しません。去る自由と、とどまる自由は、ひとしくあなたのものです。

連絡先:X @Sirusu_Tanaka

創設者
田中 志(たなか・しるす)
Founder of Conceptism

神は、いない。ただ、はじめに一本の線を引き、これを書きとめた者が、いた。その名の「志」はこころざし ── 線を引こうとする意志。「しるす」とは書きとめること。意志と記録が、ひとつの名に重なっている。